芹沢公園の黄葉に想想台灣😢💛

座間歯科医院 送迎スタッフの田中です🚗

今日はお天気に誘われ、芹沢公園ウォーキングに行ってまいりました👟

黄葉も美しく、遊具で遊ぶ多くの家族連れでにぎわっていました👪。

芹沢公園北管理等の前に、『台湾少年工顕彰碑』が建っています。

太平洋戦争中末期のの1943年、座間の東原・この芹沢公園一帯に、

旧日本海軍の戦闘機工場「高座海軍工廠」が作られました。

芹沢公園の芝生広場の下に掘られた総延長約1.5キロに及ぶ地下壕は、

激しさを増す空襲を避けて、部品工場を移すため人力で掘られた工場跡です。

日本は、当時不足していた労働力を台湾に求め、

『新鋭戦闘機(雷電)を生産しながら勉学に励めば、

旧制工業中学校の卒業資格を与え、

将来は航空機義歯への道を開く』

との条件で少年たちを募集し、選抜試験の結果、

国民学校高等科、旧制中学校を卒業した優秀な10代の少年たち約8400人が、

海軍軍属として、海を渡った来ました。

高雄の港で見送ったご両親は、

『こんな小さな子どもたちを戦地に送るなんて』と、泣かれたそうです😢💦。

少年達は座間の他にも、群馬県の中島飛行機製作所、名古屋の三菱航空機など、

各地の工場に派遣されたそうです。

しかしその頃の日本の戦局はすでに下り坂で、彼らが求めた勉学は無く、

労働環境は悪化していく一方。

慣れない寒さひもじさに堪えながらも、台湾の少年たちは一生懸命働き、

その真面目な働きぶりと高い技術は、各地の工場で高く評価されたそうです。

しかしその頃の日本の戦局はすでに下り坂で、彼らが求めた勉学は無く、

労働環境は悪化していく一方。

空襲で亡くなった少年たちもいました。

大和の善徳寺に、亡くなった少年工60名の慰霊碑が建てられています。

あまりにも悲しい、今から78年ほど前のお話です😢💦。

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